社会の厳しさに緊張と不安がたくさんのコミュニケーション下手の僕は追い詰められていく
僕のベースは緊張と不安感から成り立っていた
日常生活では、あがり症だったけれど、極度のあがり症というほどではなかったです。
人よりも緊張しやすい性格だと思っていました。
だから、人間力不足に苦しめられながらも、逃げまわったり、うまく立ちまわっていて、なあなあに生きていました。
(でも、今から振り返ると、なんとかしのいでいて、切羽詰まっていたんでしょう。現実と向かい合うのが怖かった)
自分でも緊張しやすくて、すぐあがるのはよくわかっていました。
心臓の動悸がすぐ激しくなっていたし。
足がガクガク震えたり、息継ぎがうまくできなくなって、息苦しくなったり…
だけれども、そんな自分に真剣に向き合わず、逃げ場があったから危機感を持たないように、目を背けていたから、崖っぷちに立たされたのはその後です。
きっと、話し方に弱点を持つ自分を認識したくなかったり、臭いものには蓋的発想だったんでしょう。
実際、自分の弱点や醜いところに真っ向から向き合える人なんてなかなかいないでしょうし、先行きに不安を感じながらも、目をつぶってでも生きようとするものです(過去の自分を正当化(笑))
それが後で痛い目にあうことになるんだけども…
僕みたいに社会に入ってはじめて自分の弱点と醜いところに向き合わなくてはならない人は、たくさんいるでしょう。
例をあげると、営業職になって成績を上げなくてはいけない、会議で発言しなくてはいけないとか、自己主張しないと出世から取り残されるとか、プレゼンテーションを何十、何百人の前でやらなくてはいけないとか、能力があっても自分の売り込み方が下手で低く見られやすいからとか、学生時代では素通りできていたものが、責任と重圧とともに降りかかってきます。
社会人に逃げ場なし。逃げたら負け犬決定のつらい現実
社会は厳しい。どの世界でもそうです。
給料をもらって生きていく以上、泣き言も通用しません。
ダメな奴は切られるし、解雇されなくても左遷や窓際、閑職に追いやられて、仕事に生きがいを持てなくなる。
僕こそが、人並みに会話術があるならともかく、弁護士という苦手な分野で力を発揮しなくてはいけなくなった。
実は旧司法試験に合格し、弁護士生活が始まるってとき、希望よりも不安が強かった。
あこがれの職業につけたけど(劣等感を反動パワーに変換しました)、これからあこがれだけでやっていけるだろうか?
もう逃げ場がないことだけは確かでした。
その不安のほとんどが、会話術・話し方の技術、対人折衝に関してでした。
それまで逃げていたり、なんとか取り繕ってきたものが、巨大な壁にぶち当たって、人間力のなさが一気に噴出しました。
学生時代や勉強していた時代とは違って、社会に出たらモラトリアムはありません。
とくに人間関係は重要で、クライアントとの関係でも、職場の同僚や上司との関係でも、ここでつまづいたら、社会の窓際で惨めにすごさざるを得ない…。
憂鬱の影が忍び寄ってきました。
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